吉野川の源水を育む会」の源流探訪ツアーに参加して
(10月25〜26日)
 

 私達は揖保川の源流地域に住んでいるにもかかわらず、まだ源流地点に足を運んだことがない。地域の古老が、公文川が昔に比べてずいぶん変わったと 嘆いていたのを聞き、漠然とした不安感を持ってはいた。今回思いがけず斎藤さん(広報注・KANTA会員)からの誘いにのって、上記のツアーに参加するこ とになった。今まで四国に行ったことはあったが、川に視点がなかったので、吉野川についての予備知識は全くないままで見聞するすべてがはじめてで驚いた り、感動したり、不安になったりの旅であった。

源流へ行くまでの沢づたいの道
源流の森(滝のあたり)
源流の湧泉より100m上にある滝
(これは源流としなかった)

 まず吉野川のスケールの大きさに驚いた。昔から「四国三郎」と言われ日本三大河川の一つであることを知った。地図で見ると、四国西部の高知県と愛 媛県の県境の土佐郡本川村の瓶ヶ森のあたりに源を発し四国中央部の四国山地に沿って、東に流れ徳島県に入って、徳島平野に入り大小の支流を合わせて紀伊水 道へ注ぐ。中国山地に発して南北に流れ瀬戸内海へ注ぐ揖保川と比べてみると、そのスケールの大きさがわかる。

 25日朝、徳島市からバスで吉野川ハイウェイを走り、本川村まで3時間あまり。四国山地の半分を東から西へ横切ったことになる。2000mに近い (剣山:1955m)山からなる四国山地は、私が日頃見慣れている中国山地と違って、そそり立つ山々までが眼前に迫ってくる。本川村では一ノ谷やかた(昔 の本陣館跡)で、渓流のせせらぎと紅葉をめで、アマゴの定食をとった。午後に「渓流の碑」のある瓶ヶ森へバスで行った。舗装された林道であるが、道中は狭 く、丁度晴天に恵まれた土曜とあって観光をする自家用車がひっきりなしに通って、離合の際はハラハラの連続であった。
 瓶ヶ森のふもとまで(1800m)バスが行くというのは全くの驚きであった。瓶ヶ森と西黒森山両方からの沢が合流するあたり源水地ということで私達は道からそれを見下ろすことができた。

 この源水地は三井氏をリーダーとする「吉野川源水検討会」が何度も調査した結果決定したということである。
 緑色片岩の源流碑には「一滴の水が一筋の流水となり、やがて川を形成し、地域文化を育みながら海へと注ぐ。水は生命の根源である。」云々と刻み込まれていた。
 夜は本川村村営の木ノ香温泉に泊まり、本川村の方々との交流会があった。翌26日は源流へ登山。予定より1時間遅れ、10時頃から登りはじめる。 本川村のAさんの道案内で、沢づたいの岩場を歩くこと約3.5km。滑りやすくかなり危険な道なき道であったが、色づいた広葉樹林の中を歩くと、ブナやカ ツラの大木と出会い、トチやミズナラなどのミヤマシキビの真っ赤な実が目に飛び込んでくる。

 約2時間あまりかかって源水地にたどり着いた。既に四国大学の井下氏のグループがいて、私達はコーヒーやお茶を振る舞われ、疲れが癒される思い だった。モニュメントは源水である湧き水の川の大きな岩の上にあり、それは大きな輝く水滴のようで、周囲の紅葉した木々を映し出していた。
 碑の文句のように、この水が多くの支流を集めて徳島市内で見た広い河口へとつながっている。その空間的な大きさもさることながら、この川の流域で かつて人々が生活し、今に至る文化を築いてきたこと、今もこの流域で約250万人(四国の人口の6%)の人々がその恵みを受けて生活していることを思うと き、時間的な流れの遠大さに打たれる。
 帰途は疲れた体にバスのゆれが心地よくすっかり眠り込んでしまった。徳島平野にいたった河は河中を広げてほとんど水が流れていないような所も見られた。今は流量が少なくなったため河口付近は海水が流れ込み、塩害が起こっているとのことであった。
 官公庁の出版したパンフレット類もいただいたが大きなダムをいくつも持つ吉野川の実態はどうなのか。今回の旅ではまだはっきりと見ることはできなかった。又いつか訪れてみたいと思う。

 *四国大学の井下氏はデザイン科の教授。毎年1回は学生をつれてこの源水のモニュメントのメイテナンスに登ってくるという。その時、この水で飲 むコーヒーが何よりも楽しみであること。私達がメコン川の旅やイギリスの旅で御一共した桜井暁美さん(インド舞踊家)の弟さんということである。

                        吉用 トモ子