私が鵜殿ヨシ原を訪ね、鵜殿日記を書くようになったのは、シニア自然大学の授業で小山先生との出会いに始まる。授業で環境問題に目覚め、その後、植物研 究課程に進む。そのころ淀川・鵜殿河川敷のヨシ原の保全に建設省と小山先生が新しい挑戦をされていることを知る。同じ自然大学卒数名と先生のお手伝いをする。年間を通じての追跡調査で鵜殿に同行。
 阪急京都線で高槻駅にて普通に乗り換えて次の駅・上牧で下車。徒歩10分で淀川の堤防に出る。土手の上から見下ろすと広大なヨシ原が広がる。この鵜殿河川敷は大阪100選に入り、4月のカラシ菜が咲く時と10月頃のヨシやオギの穂の出る時はすばらしい眺めである。
 70ヘクタールの広大な鵜殿河川敷もヨシ原と淀川本流との堆移に差がある。向かい側のゴルフ場に水が被らない為の水位調節もされている。このヨシ原の少し上流には、流れが曲がっている危険地域もある。

 ▼1997年1月25日
 快晴 各地に雪便りの、寒い朝を迎える。今日は、ヨシ編みの体験日。 上牧駅には多くの人が集まっていた。鵜殿河川敷は大がかりな工事が始まっている。湿地化する所を大幅に拡げている。現在、600メートルに拡げ、将来は混 地化するところも30ヘクタールにする広大な規模の工事である。これまで河川敷をコンクリートで固める工事が多かった。此の鵜殿河川敷の工事は、河川敷の 湿地化工事で我が国初めての試みである。
 湿地化する事は、ヨシ原が保全できて、自然な地域が保てる。やがて野鳥も増え水が浄化され、高槻市の憩いの名所にもなる。この保全工事をするきっかけは、上流のダム建設で水位が低くなり、ヨシの生息が危うくなるからである。
 この事が成功すれば本来の姿を取り戻す夢の工事といっても過言ではない様だ。
 ヨシはヨシズ編みの材料として、根本から切り取られる。ここは古くは平安時代、紀貫之の「土佐日記」にも登場する鵜殿のヨシ原として有名である。 調査日に一人でヨシ原にはいるとヨシ調査区の 後ろでは、道鵜町の人が一人で笛にするヨシを刈り取っていた。いろいろお話を聞く。鵜穀のヨシは良質で笛の吹き口に使うため、買いに来る業者用に刈り取っているという。1mの長さの規格に合うよう刈っておられた。業者は6,7軒で平均300本以上買うらしい。簾はマンションを始め、西日の当たる住宅には欠 かせない便利な商品であるが、今日では輸入品(中国製)に押され国内生産は減っている。
 来月、恒例のヨシ焼きが行われるが、高槻市の職員の方が顔を曇らせていた。それは、ヨシ焼きのあった翌日は、灰やゴミの苦情の電話が一日中殺到するからである。
 しかし、1年のこの行事のお陰で、丈夫なヨシが育ち、全国で使用する笛の吹き口やヨシの民芸 品として良き原材料になって、鵜殿河川敷も保全できるのであるから、一年で1回ぐらいの灰やゴミが飛んでくる事は、もっと大きな視野で辛抱して項きたいと 思う。私達は、命である水を淀川から頂いているのである。その水源地である琵琶湖に住む人たちは、湖水を汚さないための規制を努力して実行している。環境 保護も行政が、少しの矛盾やデメリットに惑わされず信念と技術開発で推進していかなければ、保全は難しいだろう。

 ▼1998年2月18日
 水の流れる湿地帯拡大工事完成。10時過ぎ、吸水ポンプ稼働する。工事 のため空になっていた水路に、いきおいよく水が流れ始める。渇いていた水路に水が広がり、昼近くには、新しく拡張した水路の幅30Mを平均して貯めていく。興奮気味に立ち合っていた人々の見守る中、給水実験は大成功する。2時間で、3600トンの吸水能力を持つポンプアップに感心する。晴れた河川敷にき らきら輝く鵜殿のヨシ原は、前景に水面があると琵琶湖近くの西の湖の風景のようだ。突然目の前に現れた素晴らしい景観が、何か信じられない思いだった。
 ポンプアップで水の流れがよくなるよう、運河作りや通路の整備に忙しく、鵜殿河川敷で快い汗を流す。6月に 入り梅雨も順調。2区は水深が深く測定が大変である。しかし測定者の段取りが良く迅速に測定される。ポンプアップ順調。通路の道作りや水路の整備も各人分 担で上手くいく。

 ▼1998年6月23日
 3時より高槻のホールにて工事事務所の方に淀川についての講話を聞く。河川の危機管理や淀川について面白いお話の後、質問等歓談する。今年は温暖化傾向にて雨も多いが、今時の人は淀川の堤防が切れた場合など考える人は少ない。しかし自然現象はとんでもない時に大雨や台風がくるものである。

 ▼1998年7月21日
 梅雨が明けたのか?真夏のような鵜殿。水路には水が無く干上がっていた。自動汲み上げの設定が作動しないのか?測定班も酷暑にめげず順調にはかどる。干上がった水路を利用して、伸びたヨシや雑草刈りを汗だくでしている。本当にボランティアの心は素晴らしい。

 ▼1998年8月11日
 今年の夏は梅雨が遅れてずれ込む。少し間合いがあいたが夏姿の鵜殿で皆さんと お会いする。河川敷にテントを張ると風が通りすぎ気持ちがよい。こちらでの夏場の調査は暑さとの戦いであり、水分の補強が欠かせない。シニア自然大学4期 生の方がポリタンク持参されて調査メンバーの人は大助かり。作業も手分けして運河(手堀の水路)作りや、すぐにヨシ、雑草に覆われる小道の下草刈りなど自 然に作業もはかどっていた。
 昼過ぎより、ポンプのスイッチが入り、水が勢いよく流れ出す。2時間ほどにて、水路の先端の方まで水が届き流れている。全員、増えていく水を眺めて興気味である。

 ▼1998年8月18日
 曇り空、夏真っ盛りの暑さに呑み込まれるようなヨシ原。堤防の上にあがると一目で見渡せるヨシ原が続いている。つい見慣れた景観だが何故かホッとする思いである。
 もう先発の人はヨシ原に入り暑さと格闘しながら測定をされているらしい。私たち数人が手荷物を持ってヨシ原の迷路に入っていく。
 水に浸かっている2区の調査区を通り広場に出るともうテントが張ってある。有り難いことだ。夏場は逃げ場の ないこの広い河川敷では、テントの下が最高のオアシスである。夏場は、この調査区に入る細長い小径は、絶えず手入れをしないとカナムグラや倒れてくるヨ シ、雑草が伸びて通行不能になり、数人で造作りと草刈りをしながら小道を確保している。ところが驚いたことに調査区に通じる各迷路が倍ほどの広さになっていた。先生が気持ちよく調査や観察が出来るように業者に指示して、機械力で草を刈ったそうである。これでもうこの広大なヨシ原に迷うことはなく一人歩きが出来そうだ。
 今だから言えるが覆い被さるヨシ原を歩いていると、迷うのではないかと気持ちが不安になったことはしばしばであった。
 今日は全く暑い。今年の暑さは格別だ。お昼には、あちらこちらから散らばって作業していたメンバーが一同に集まり昼食する。 汗が噴き出して、日が汗でかすむくらいの蒸し暑さ、メンバーのある人が持参された氷水を一杯いただくと、「こんなに、美味しく頂いた水は初めてだ」と言いながら、もうろうとした身体をよみがえらせていた。
 夏場、この暑い河川敷で下草を刈りながら、よく一人で思うことがある。私はその経験はない が、先輩の人達は第二次大戦で、南方のジャングルの中で補給路を自分で切り開いた話を聞いている。そのご苦労が何とはなしに判るような気持ちがする。しか し良く伸びたヨシを鎌で切り落とすことも、ストレスの解消になるなあと思うこともある。結構作業することは、時間を忘れて自分に与えられたノルマをこなす ような、快感の様な気分も味わえる。
 やはり日本人は仕事が生き甲斐なのか?…

 ▼1998年9月29日
 梅雨の様な毎日が続く。鵜殿に来てみるとヨシは重たい穂が8分ほど開いている。
 水路はカナムグラが繁殖しヨシにからみつき倒している。場所によりヨシが少なくなっていた。水路の水が適度に溜りカナムグラにとってよい環境になったのか?
 今年はオギの穂があまり目立たない。水路には雑草が茂り鵜殿班で盛んに草刈りをされている。 7号台風が通り過ぎた後だが、昨年と今年ではこのヨシ原もだいぶ様子が違ってきた。生態系も環填に反応するのが早い。しかし来月のオギは、ぼってりとした あの銀色が今から楽しみである。

 ▼1998年10月6日
晴れ 堤防より鵜殿河川敷を望む。ヨシ、オギの穂が風になびきヨシ原もまだら模 様。河川敷に降りていくと4mの高さになったヨシも穂が出そろっていた。淀川本流も増水し流れが速い。水路の水は満水でどんどん水を汲み上げている。ヨシ 原を広場の方に歩いていくとセイタカアワダチソウやカナムグラが目につく。
 水路では澄んだ水が流れ、さわやかな感じがする。この時期になってもまだ河川敷は暑く感じる。
 帰り道、水路をひとりで歩くと、‘かも’がヨシの間に浮かんでいた。すぐに飛び去ったが新しい水辺にもう遊びに来ていた。ウグイスもよく鳴き、将来は多くの人がくつろげる所となるだろう。野鳥も増えている感じがする。河川敷で確認できた野鳥。
 アオサギ、トビ、モズ、カルガモ、ヒバリ、ツバメ、セキレイ、ヒヨドリ、ウグイス、カワラヒバ、スズメ、ムクドリ、紅スズメ、カラス、等。 我が国で河川敷に水を流すのは初めての試みであるが、この小山先生のやり方ともう一つのヨシ保護に本流との水位の差を埋める河川敷自体を掘り下げる案もある。将来このヨシ原を第2名神高速道が通る場合、ヨシ原を分断されないように橋脚も吊り橋にするように提案されていた。
 私たちの生命である淀川の水とその水系環境がこれからも、さらに良化されることが望まれる。我が国の恵まれた環境を次世代に引き縦ぐことは私たちの義務である。

※調査区のヨシ比較
 1区画(湛水地)・・・全体に太くて丈夫そう。スラリと伸びる
 2区画(流水地)・・・高さ姿が良く揃っていた。
 3区画(天水地)・・・成長良好。ヨシの密度もある。
 4区画(撹乱表土)・・・細くて背丈低い、格段に貧弱。

 水べりのヨシ原で野鳥の巣を発見、上手に丸く作られている。触るとふわふわしている。時折、枯れたヨシ原からカサカサと音がする。こちらが近づくと鴨が数匹飛び立つ。夕方近くなると傾く太陽が水に反射して静かな佇まいを感じさせる鵜殿である。

 1998年12月22日
 快晴 12月にもかかわらず暖かい。他の人達も何故こんなに暖かいのか不思議でならないと話し合っている。今日の作業は、各地区のヨシを刈り取り太さや長さを測る。

 私は1区を受け持ち、他6名ほどにて作業を分担。区画内のヨシを根本よりカマで刈り取り、ヨシとオギを選別して長さを測る。他の班では、2区の水が流れている区画・面積を測りその中より刈り取る。刈った本数を数えて束ねる。

 ▼1999年2月14日
快晴 うどのヨシ原焼き
 今日も淀川の水量は少ないが、実験地である水路には定量の水があり、水辺のヨシ原の景観を保っている。水路近くを歩くとキジが2羽飛び立つ。この人工の水路にも住み着いてくれているのか、水鳥が飛び立つのはそれだけ自然度が増しているのであろう。
 鵜殿の春の風物詩・ヨシ焼きが2年ぶりに行われ午後1時、点火。時間前には多くの人々が堤防に集まってくる。寒波もゆるぎ良いお天気である。昨年は雨のため中止になったために、ヨシに虫が付き茎の中に痛んだものも多い。
 堤防の上から眺めると、ヨシは茶一色で速くまで見渡せる。開始時間丁度、南の方角より黒い煙が見えはじめ、 点火されたようだ。ヨシ原は広いのでこちらは、まだ点火されていない。前方より数人の係りの人が松明を持って歩いてくる。松明から受けた火でヨシが燃え上 がり、炎が広がっていく。
 思ったより火の回り方が遅い。三日前、大寒波で雪がちらついたために、一気には広がらない。やがて一角が炎に包まれ燃え出す。私も望遠で撮影したが、野鳥が飛び交う煙と炎のショーとなり、見物人からどよめきが上がる。全体に点火されて、炎が海のように広がっていく。
 ゆっくりと燃え、所により2時間ほど燃え続けたり、中には燃え残るところもあった。堤防の斜面に降りてみると、カラシナも伸びて開花も近いようだ。今年は堤防から降りて見物できたが、燃え冬きたヨシ原に入ってみる。
 足下の灰がまだ暖かい。水路近くには湿地になっているのでヨシは残っている。茶色一色のヨシ原も今は黒く、ふわっとした灰の原っぱで帯状に燃え残った所もあった。これで害虫も駆除されて、元気な新しい新牙も間もなく牙生えるだろう。三月頃カラシナの咲き乱れる あの素晴らしい景観が待ち遠しい。

・小山先生談・・・淀川も上流のダム建設で最近この河川敷は冠水しなくなった。鵜殿河川 敷は乾燥しきっている。そこでヨシを助けるために、高水敷きに揚水ポンプで水を汲み上げて新しく作られた水路に流す。鵜殿のヨシ原と呼んでも可笑しくない 様、ヨシを中心とした水辺の植物群を繁殖させることが鵜殿の湿地化の目的なのです。以下略…

 99年度は一段と水路を広げる工事が進行中で、本格的な湿地化として誕生するのは間近である。大阪府内に新しいビオトープが完成する。  以上で私の鵜殿日記の一部のご披露を終わるが自然の大切さに気づき、全国で色々な保護活動が盛んになりつつある。建設工事もかつての治水だけでなく、環境 を気遣った工法があみ出されているがこの鵜殿もその一例である。99年度には新たに水路も拡張され広い河川敷に変貌していく。
  今、堤防や河川のコンクリート付け工事を中心としたものが殆どであるが、この鵜殿日記のようにコンクリートの代わりにヨシの植生というソフト工事も試みられるようになったのである。増水の時、川が曲がり危険な場所とされる所、そこを補強するの にブロックで固めて、その上に土砂を祇せる。やがてブロックの上の表土が安定すると雑草が牙生えて堤も緑の護岸と変わる。これには、今まで以上の費用もかかる。しかし、次世代のために敢えて実行するという新しい価値観が生まれつつあるのである。
 建設行政が変わるなら、我々市民も変わって、次世代へ、安全で快適な自然環境を縦承していこうではありませんか。そのために自然と親しみ、自然を観察し、自然が何を望んでいるかを知ることから始めるべきだと私は思っている。(有)

                                     トラスト関西1999.12.より転載

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鵜 殿 日 記
〜ヨシ成長記録〜