KANTA通信 2011.1 No.62
 関西ナショナル・トラスト協会
(KANTA)
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 関西の美しい水田風景や山林、歴史景観と生活環境を守る運動
  
美山楽舎は日本古来の農家建築
(寄稿)西宮市 土屋 純男 

 日本の農村 には、その地方ごとに、その土地特有の家屋の建築様式があります。
 形式は、いわゆる田の字形を基本とし、地域により、家畜小屋を母屋に繋いだ形式などがあります。屋根は、ほとんどが茅葺でした。
 江戸時代初期頃より、田の字形の家の入り口は「とぼう口」と呼ばれる造りになっていました。「とぼう口」といういわゆる玄関は農家という生活様式から生まれた、実用的な多目的なスペースとして定着しました。
 当美山楽舎は、日本の農家建築の基本的な原形をとどめているものでこのような家屋は、どんどん農村から消えつつあり、貴重な古民家として残すべき価値のある建築なのです。
(以下は私の叔父矢崎信夫(百二才)の文章から引用しました)
 とぼう口 というのは先にも述べたように、農家の生活習慣から生まれたものであり、農家では四季を通じて作物の収穫があり、とぼう口はそれら収穫物の一時のおき場所となっていた。
 とくに、麦とか稲の取り入れ時は、軒に届くほどそれらの束を積み上げることもあった。また脱穀した籾等は、筵に広げて数日間天日にあてて乾かす必要があったので、昼間干したものを夜間はとぼう口に入れて、次の日にまた取り出して表に干し、それを干し上がるまで繰り返していた。更に急に雨になった時などは、表に干してあるものを手早く取り込むのには、好都合の場所となる訳である。
    矢崎信夫著   「故きを温ね新しきを求めて」兜カ芸社    2001年5月15日版
水都大阪にぎわい創出プロジェクトに参加して
(10月2日〜3日)
 去年に続いて「水都大阪にぎわい創出プロジェクト2010」が中之島公園周辺で行われ、関西ナショナル・トラスト協会も展示ブースと水上劇場でのトークセッションで参加しました。展示ブースでは映像による新旧淀川の違いなどを提案いたしました。又旧淀川の貯木場跡地の有効利用の方策として、英国テムズ川の貯木場跡地をウエットランド(注)として見事に再生し市民に親しまれている例や、新たに発見されたクロベンケイガニの家族の写真パネル展示をしました。新淀川も梅田北ヤードと一体で計画する必要があるのではと提案しました。大阪という大都市の真ん中を幅1qもの大河川が流れている都市は世界的にも稀です。
 これを利用する方策を考えることは水都大阪の復権になるではと提案しました。
 水上劇場では「水といのちの賑わい文化都市つくり」というテーマのセッシォンを学識者及び市民代表、コンサルタント等5名により開催しました。
「障害者は歩いて行動する範囲は限られますがタンデム車に乗せて走れば社会が広がります。大阪は二人乗り自転車では公道を走れないので、川沿い、海沿い、河川敷、公園内を後に視覚障害者を乗せて走ります、始めは恐る恐る乗りますが慣れると風を感じることが出来るので大変喜ばれます。公道が走れるように条例を改正すべきです。障害者にもやさしい街つくりをとよく言われますが、このような所から改正して大阪の文化を上げていくべきであるとおもいます」
 「ハゼ釣りとか野鳥の観察会などで、ふれる機会をつくり、子供たちに教える。廃油の回収、ゴミ拾い、ハゼのてんぷら、その中で川を汚く出来ないやろと実感させる。うまく智恵を出し合う場をつくる、その中で行政が入ってくれたらうまく回っていく。
 大阪の中心部は、新淀川と旧淀川(大川)に囲まれています。新淀川は水辺に入って遊べるし、ワンドという水溜りがあって近くの人たちは自然と川へ足を運ぶようになった。十三や中津からは梅田の高層ビル群が目の前に見える、大阪駅とは目と鼻の先ほどしか離れていない。こんな近くに大自然がある事を体験をさせるべきである。文科省の話では自然体験豊かな子供ほど道徳感、正義感に優れていると言うような結果が出ている、子供たちだけでも自然体験出来るような場があればよいのに」
「旧淀川(大川)は矢板護岸の堤防で水辺が無い、すぐに川であり、生き物にも良いことはない、上空から見て良い川でも、水位が1〜1.5m変動している。桜ノ宮公園近くの貯木跡は砂地や石積み護岸があり違った環境があり、二枚貝やカニがいて大川では特別な場所である、手を加えると水遊びが出来るようになる。
大川(旧淀川)は海抜0メートル地帯の自然界であり、このような大河川の河口は自然の宝庫である、此処を原点にして生物は河川に生育し、上流からの餌を食べている。自然の浄水場となっている。このような場所、大都市の真ん中に共生する生物はいるが、市民にそれが見えないのが問題。身近な大川沿いにある貯木場跡地に、ロンドンのテムズ川ウエットランドセンター(貯木場跡地に作られた)のように再生して市民に楽しく親しめるようにしても良いのでは。
「このような場所が保全されれば子供たちは蟹つりが出来るし、水辺に親しむことができる。自然海岸でも人口海岸でもかくれる場所が必要である。生き物に感心を持つ人を増やすことにも力を注いでいる、クロベンケイ蟹の自然体験等をとおして日常の中で触れ合うことが人にとって必要である。見えないけれど水の中では生態系は繋がっている、自然界では当たり前のことである。ということを学んで欲しい」
「都市は、人が創った最大の創造物であり、自然は神が創った最大の創造物であると言えますが、皆さまの話を聞いているとそうとは言えない。大阪は淀川と大和川で囲まれたデルタ地帯に発達した都市で、これが大阪の環境を形作っている。都市といえども大きな環境の基盤の上に成り立っている。環境インフラの要素として川、水路も重要な要素である。
山裾部を表わす山の辺、川辺を表わす水の辺(総称してエコトーンと言う)水の辺は特に川岸は緩やかに変化していることが大切である、大川の川岸は緩やかに変化していない、緩やかに連続して変わっていくことを取り戻すことが必要である。またどうしたら行政と話が出来るのか、官と民との連携についても大きな命題になっている。まずは自助、自分で出来ることは何か、次は共助、仲間をどう集めてくるか、地縁のコミュニティをベースにプラステーマ型コミュニティが必要である。公助、行政がそれにサポートしながらどう連携してどう展開していくのか、我々二十一世紀に住んでいく中で自助、共助、公助、の枠組みの中でどう展開していくかが非常に重要になっていく。共助のようなものをどうしてつくるか、大川一体を考えるときに行動の拠点となるプラットフォームをどう作っていくか、その弟一歩が今日のこの話である、どうやって皆で情報交換して共有しながら次に行動の一歩にどう繋げていくか。それには皆が智恵をしぼっていく必要があります」
 注・ウェットランドとは
 十月始めに行われた「水都2010」のシンポジウムでも話題になったことですが、今いわゆる『水辺』の重要性を私達は改めて見直さなければなりません。この『水辺』は、環境用語の「ウェットランド」であると考えて良いと思います。ウェットランドは日本語で「湿地」と訳されるようですが、環境用語としての「ウェットランド」という語は、それよりも幅広く定義されています。ラムサール条約の第1条では、「天然か人工か、永続的か一時的か滞水か流水か、淡水・汽水かを問わず、沼沢地・湿原・泥炭地または水域を言い低潮時の水深が6mを超えない海域を含む」と定義されており、単なる「湿地」よりも幅広い環境が含まれます。川岸、海岸、干潟、水田などもウェットランドと呼ばれます。つまり『水辺』です。
 ウェットランドには多くの生物が集まってきます。魚、貝が生息しているのはもちろんのこと、それらをえさにする鳥がやってきますし、さらにその鳥を補食するワシ、タカ、獣もやってきます。また、渡り鳥にとってウェットランドは、羽を休め、食物を与えてくれる重要な休息地となります。
 その一方、ウェットランドは、人間の生活の影響を強く受ける場所でもあります。生活排水、工業廃水などの汚染された水が流れ込み、土砂にヘドロが流れ込みます。また、都市に隣接したウェットランドは埋め立てられ、工業用地やごみ処理場に変わっていき、都市内で埋め立てられたところには住宅やオフィスビルが立ち並びます。世界中で、ウェットランドが開発の脅威にさらされています。容易に破壊されやすいウェットランドの保全を考えることは、そこに生息する多用な生物を保護することにつながります。
 中之島のビル群を撤去するわけにはいきませんが、水際の建造物をこれ以上ふやさないように、『水辺』の重要性を改めて考える時ではないでしょうか。
(ラムサール条約:1971年、イランのラムサールで開催された国際会議で、「特に水鳥の生息地として国際的に重要な湿地に関する条約」が採択された。これを一般にラムサール条約と呼ぶ)
太子町 王稜の谷歴史ウォーク
三宅 律子(会員)

 11月27日(土)去年に続き再び王稜の谷へ。16名の参加を得て、上ノ太子駅を午前10時過ぎに出発。快晴で小春日和、快適なツアーに為りました。今回は太子町観光ボランティア「太子街人(ガイド)の会」の会長自ら案内して頂いて興味深い場所を訪れることが出来ました。駅から線路沿いに少し言ったところに太平塚古墳があります。その石室は、なんと近鉄電車の線路の真に下にぽっかりと開講していました。電車の振動で崩れ落ちたりしないのか心配になります。鉄格子がはまっていて入る事は出来ないのはその懸念の為でしょうか。
 さて春日の街並みを抜けていくと、クスノキの巨木が。藤田さんという個人のお宅のものですが、お庭に入って見せて頂きました。高さ25m以上もあり、幹の太さも地面に張り出した根の大きさも、とにかくこんなの見たこと がない。樹齢250年くらいといわれており、大阪府の天然記念物に指定されています。遠くからでも目につく巨木なのですが、今は少し葉の勢いがないとのこと、以前は葉が茂って暗いほどだったのに、最近はそれほどでもないらしいです。クスノキも加齢なのか、それとも地球温暖化や大気汚染がこんな所にも忍び寄っているのか、しかしそんなことにも負けず、さらに根を張り枝を広げて、この街を見守り続けてほしいと思います。その後に行った叡福寺では紅葉を楽しむ事が出来ました。聖徳太子御廟 には前回も行きましたが、来るたびに不思議な感慨に打たれます。千四百年以上も前にこの地で政治を行っていた人のお墓が実在するなんて。飛鳥の時代から連綿と続く時の流れを感じさせてくれる場所でした。
そうこうするうちに昼時、この頃には陽が陰ってきて、叡福寺のそばの「なごみの広場」で、少し肌寒いけどさわやかで心地よいランチタイムを楽しみました。

 昼食後は「泥かけ地蔵尊」を経て今日ののメイン(私の中では)である源氏三氏の墓を訪れます。泥掛け地蔵にまつわる話を簡単に紹介します。昔大切に育てられいた子どもの頬に腫れ物が出来、医者に診せても治らず、だんだん大きくなっていきました。蓮池の地蔵に毎日おまいりに来る母親に地蔵は言います。「おまえの願いを聞いてあげよう。その代わり私は長い間住んでいた蓮池が懐かしくなったが帰れないので、池の泥を私の身体にかけてもらいたいのだ」母親が泥を何度も地蔵にかけて家に帰ると、子どもの腫れ物は消えていました。それ以来、人々は泥を地蔵にかけて願いごとをするようになったのです。今では泥はかけられていませんが、人々になでられ続けたせいか、お地蔵様のお顔はなめらかで、凸凹がほとんどなくなっていました。
 さて、源氏三代とは源頼信、源頼義、源義家の三代で、源姓ではありますが、なじみのある名前ではありません。しかし、それぞれの時代で武勇にすぐれていたようです。鎌倉幕府を開いた源頼朝は、義家の四代目の孫にあたります。私たちが思い浮かべる源氏は頼朝や義経であり、特に義経などはそのさまざまなエピソードが詩や物語になって広く親しまれています。しかしその」祖先となると…。
これらの墓は同じ墓所にあるのではなく、太子町と羽曳野市との境界付近に別々にあります。二代目頼義の墓は羽曳野市の通法寺境内にあり、一代目頼信と三代目義家の墓は、その南東、太子町丘陵に建てられています。それぞれ近くではありますが、三カ所を歩いて巡りました。訪れる人も少ないのか墓石のまわりにには落ち葉が降り積もり、風情があると言えばありますが、寂莫の感が残りました。
 頼朝や義家の墓は観光スポットになって人が多く訪れるのに。とは言え、自らも武勇に優れ、子孫に鎌倉幕府の創始者を持ったのは、それだけの何かを「持っている」家系なのでしょう。歴史の重みを改めて感じながら、葡萄畑を抜けて上ノ太子にもどりました。太鼓からの時の流れの延長線上にすべてのが存在することを重うと、私達自身も、木や草も、生かされている命がいとおしくなります。次回はどんな歴史に出会えるか楽しみです。
KANTA行事予定
綾部酒蔵蔵人体験
奈良二月堂
お水取り用竹送り
宝塚廃線敷きウォーク
 蔵人体験は2年ほど行ってませんでしたが今冬、若宮酒造様のご協力により復活しました。京都府綾部市の若宮酒造に蔵人体験に寄せてもらいます。
次の要領で行います、なお受け入れの関係で限定5名以内です。


         記

【日時】
、平成23年1月29日(土)〜30日(日)

【集合】、JR大阪駅中央改札口

【費用】
 宿泊体験費  五千円+交通費
募集人員 5名          
 今年もお水取りの竹起こしと竹送りに参加します。竹は、約8メートルの太い真竹で根っ子が付いたままなので約70キロ以上あります。根っ子は松明を担いだり振りまわすときにバランスをとるのに必要で、火から離れて持つことが出来火傷をしないのです。先頭の竹には竹筒がぶら下げてあり、沿道の家から二月堂へのお賽銭を頂いたりします。途中の転害門では、歓迎のセレモニーが行われます。運ぶ真竹は7本です。下記のとおり行われますので参加希望者は事務局までご連絡下さい。
          
@竹の掘り起こしー集合午前7時転害門集合ー自家用車乗り合わせて現地へー午前8時京田辺(同志社大学の近く)で竹の掘り起こしー普賢寺で安全祈願の後奈良坂に向けて車で出発。

A竹送り 集合ー午前10時奈良坂バス停、竹を担いだり大八車に積んで二月堂まで運びます。
出発10時30分奈良坂バス停前ー11時転害門ー11:30県庁前ー氷室神社ー東大寺南大門ー11:45大仏殿前ー二月堂(到着後解散)
日 平成23年2月11日(祝)
【集合時間・場所】
 @は午前7時天害門
 Aは午前10時奈良坂バス停
【参加費】 1000円
【持ち物 水筒、タオル、防寒着など
【申込み】 
 関西ナショナル・トラスト事務局
 電 話 06ー
6444ー0587
 桜の花さく宝塚から武田尾温泉までJR宝塚線の廃線敷きを花見しながら歩きます。JR生瀬駅から少し一般道を歩くと武庫川沿いの廃線敷にでます。武庫川もこれくらい上流になると大きな岩が多く見受けられ、水がきれいであれば、武庫川渓谷等と名付けられてもっと名所になっていたでしょう、今まで鉄道に乗らないと見ることが出来なかった渓谷美が見られます。そして足下は枕木がそのままのこり砂利で埋められています、トンネルも5カ所程のこり真っ暗闇の中を懐中電灯を照らして足下の枕木や凹凸に注意しながら歩きます。2時間ほどで桜守りの会が管理している桜の園に着きます、そこでお昼ご飯にします、各自花見弁当を持参して下さい、そこから少し上流に行くと店が2軒有り冬ならばボタン鍋が食べられます。店を過ぎJR武田尾駅の下を通ると武田尾温泉までは一キロ程度です。ウォークキングの汗を流して帰ることが出来ます 。春の花見ウォークに参加下さい。
          記

【日時】平成23年4月2日 午前10時集合
【集合場所】 JR宝塚線 生瀬駅
【参加費】  1000円
【解散】   午後3時頃JR武田尾駅
【持ち物】  水筒 弁当 懐中電灯
     タオル等その他温泉グッズ 
ブルーベリーを植える

 10月16日に以前から地元の井上氏よりブルーベリーの苗木を提供するとの話があり、ちょうど植え付けの季節となったので、地元の国松氏と協力して苗木を五本植えて頂きました。来年には実が実るように直径五十センチ程の大きな鉢に植えてあった高さ一メートルほどの木です。
 重い鉢を二人で畑まで運んで下さり、鉢から出して堆肥を入れ、少し盛土をし、湿かないように丁寧に植えて頂きました。
道路からもよく見える場所で、KANTA美山楽舎の看板の前です。野鳥や動物の被害は軽減されそうです。
来年の夏が楽しみです。
美山冬野菜 ■収穫祭と地元交流会
 今年も美山楽舎農園で冬野菜の収穫祭と地元の方との交流会を延べ二十数名の参加を得て12月11日(土)〜12日(日)にかけて行いました。今回は冬野菜といっても去年ほどたくさん作っていません。白菜、キャベツ、ブロッコリー、里芋、落花生、サツマイモ等です。子ども達も一生懸命になって野菜を採り、採れ取れ野菜と美山地鳥で早速地元との交流会です。日帰りの方々も遅くまで交流をして頂きました。今期は特にワインに合う料理ということで、鍋料理の他にイタリア料理に腕をふるって頂きました。
 今年は夏と冬、2回このような会合を持ち、会員の相互理解と地元の方々との交流をし、古民家の保全と合わせて美山の自然と文化を理解して行けたら良いですね。やはりこのような行事は会員が多く参加してこそ盛り上がりますので次回はもっと多く参加して頂くように行事を企画します。
北桑の歌
作詞 上野桑舟
作曲 穂積正信

一、山並は 杉の木の海
  そま人ら 打ちふるう 斧のひびきは
 大空に 澄みてこだます
  夢をだく 夢をだく
    北桑田 われらがふる里