第3回「太子街人の会と歩く歴史ツァー


               
中岡 健生
 

 上ノ太子駅前に平成23年11月26日に集合しました。この日も最良の登山日和に恵まれました。案内人は街人の会の薮内さんです。本日は、二上山へ直行と13名の参加者は元気に出発です。
 飛鳥川に架かる六枚橋を渡り、太子町の山田の大道(最古の官道・大道=飛鳥時代に造られた大街道のこと)地区に入る。旧街道を歩いているとそこ此処に残る地蔵様や当時の旅人たちを導いた石の道標や土塀が次々と目に入ってくる。

 昔、旅人たちに餅を振舞ったとか餅屋があったとか伝えられる餅屋橋の辻をすぎると、すぐ右側に伊勢灯篭と大和棟(瓦屋根に茅葺がのっている国の登録文化財)の大きな民家(大道旧山本家住宅)があり道を挟んだ向かい側が幸徳天皇陵。坂道を少し上ると拝所があり周囲は鬱蒼とした木立。枕草子に「うぐいすの陵」と紹介されている。
 幸徳天皇陵から竹内街道歴史資料館まではすぐ。ここは帰りに見学することにして、旧街道を国道に出て万葉の森駐車場まで車の通行量が多いので安全に注意しながら歩きました。
 歩くこと1時間40分くらいで万葉の森入口からはいよいよ山道。ゆっくりと健脚向きコースの岳上り、鹿谷寺跡へ着き十三重石塔と線刻三尊佛が残る奈良時代に造営されたという大変珍しい石窟寺院。
 飛鳥時代に竹内街道を通じて運ばれた大陸文化の息吹が感じられる。さらに尾根筋を上って雌岳(474m)山頂の日時計の場所で昼食をとりました。
 頂上で頂く食事も爽やかでとても美味でした。
 東を望むと大和三山がまるでパノラマよう、そのまま下山すれば当麻寺です。西に少し下ったところに岩屋がある。鹿谷寺跡と同じく奈良時代の石窟院です。
  かって火山活動によって二上山から産出する、凝灰岩・金剛砂、サヌカイト(これは今回入手出来、皆さんに見て頂きました)刃物の替りの石としてその岩石は歴史上重要な役割を果たしたと言われています。
 体力と好奇心のある希望者だけが古墳時代に石棺の原材料凝灰岩を切り出した石切り場跡に足を運びました。

 いよいよこれから竹内街道歴史資料館まで行き、元館長の案内説明で竹内街道を軸に町の歴史を展示物の解説をしていただき、町内の考古、歴史民俗などの多岐にわたる文化財を公開しているものを見学して玄関前で移動式組立型仏壇を背負う体験をさせてもらいました。これは箱の中に金剛砂を入れ昔のままの重さにして実体験するとの事。
 最後に、第一回に訪れた妙見寺にも案内され和尚さんによる講話を聴くことが出来たので少し詳しく話してみます。
 推古天皇6年(五九八)蘇我馬子の創建と伝えられて、七堂伽藍を備えた大寺であり河内の国最初の霊場であり、明治に入り廃仏毀釈運動の煽りを受け明治6年(1878)3月6日に廃寺になった。しかし、明治13年5月12日に現在の地に再興し「火伏の妙見寺」として今日に至っているとのこと。
 これで全行程が無事終了し、今までのツアーでは最長時間を要しましたが参加者全員元気で予定通り街人さんに駅まで送ってもらい、おかげで本当に学ぶべきことが多く有意義なツアーになりました。心からお礼申し上げます。
 私は、太子町の住人でありますが、まだまだ沢山の事が知りたく、次回はもっと楽しい所を探し,沢山の方々が参加して頂きたく思いますので、今後ともよろしくご協力をお願いします。