太子町 王稜の谷歴史ウォーク

                     三宅 律子(会員)


 

 11月27日(土)去年に続き再び王稜の谷へ!
 16名の参加を得て、上ノ太子駅を午前10時過ぎに出発。
 快晴で小春日和、快適なツアーに為りました。
 今回は太子町観光ボランティア「太子街人(ガイド)の会」の会長自ら案内して頂いて興味深い場所を訪れることが出来ました。
 駅から線路沿いに少し言ったところに太平塚古墳があります。その石室は、なんと近鉄電車の線路の真に下にぽっかりと開講していました。電車の振動で崩れ落ちたりしないのか心配になります。鉄格子がはまっていて入る事は出来ないのはその懸念の為でしょうか。
 さて春日の街並みを抜けていくと、クスノキの巨木が…藤田さんという個人のお宅のものですが、お庭に入って見せて頂きました。
 高さ25m以上もあり、幹の太さも地面に張り出した根の大きさも、とにかくこんなの見たこと がない。
 樹齢250年くらいといわれており、大阪府の天然記念物に指定されています。
 遠くからでも目につく巨木なのですが、今は少し葉の勢いがないとのこと、以前は葉が茂って暗いほどだったのに、最近はそれほどでもないらしいです。
 クスノキも加齢なのか、それとも地球温暖化や大気汚染がこんな所にも忍び寄っているのか、しかしそんなことにも負けず、さらに根を張り枝を広げて、この街を見守り続けてほしいと思います。
 その後に行った叡福寺では紅葉を楽しむ事が出来ました。
 聖徳太子御廟 には前回も行きましたが、来るたびに不思議な感慨に打たれます。
 1400年以上も前にこの地で政治を行っていた人のお墓が実在するなんて!
 飛鳥の時代から連綿と続く時の流れを感じさせてくれる場所でした。
 そうこうするうちに昼時、この頃には陽が陰ってきて、叡福寺のそばの「なごみの広場」で、少し肌寒いけどさわやかで心地よいランチタイムを楽しみました。

 昼食後は「泥かけ地蔵尊」を経て今日ののメイン(私の中では)である源氏三氏の墓を訪れます。
 泥掛け地蔵にまつわる話を簡単に紹介します。昔大切に育てられいた子どもの頬に腫れ物が出来、医者に診せても治らず、だんだん大きくなっていきました。
 蓮池の地蔵に毎日おまいりに来る母親に地蔵は言います。「おまえの願いを聞いてあげよう。その代わり私は長い間住んでいた蓮池が懐かしくなったが帰れないので、池の泥を私の身体にかけてもらいたいのだ」母親が泥を何度も地蔵にかけて家に帰ると、子どもの腫れ物は消えていました。
 それ以来、人々は泥を地蔵にかけて願いごとをするようになったのです。
 今では泥はかけられていませんが、人々になでられ続けたせいか、お地蔵様のお顔はなめらかで、凸凹がほとんどなくなっていました。

 さて、源氏三代とは源頼信、源頼義、源義家の三代で、源姓ではありますが、なじみのある名前ではありません。
 しかし、それぞれの時代で武勇にすぐれていたようです。
 鎌倉幕府を開いた源頼朝は、義家の四代目の孫にあたります。
 私たちが思い浮かべる源氏は頼朝や義経であり、特に義経などはそのさまざまなエピソードが詩や物語になって広く親しまれています。しかしその」祖先となると…。
 これらの墓は同じ墓所にあるのではなく、太子町と羽曳野市との境界付近に別々にあります。
 二代目頼義の墓は羽曳野市の通法寺境内にあり、一代目頼信と三代目義家の墓は、その南東、太子町丘陵に建てられています。
 それぞれ近くではありますが、三カ所を歩いて巡りました。訪れる人も少ないのか墓石のまわりにには落ち葉が降り積もり、風情があると言えばありますが、寂莫の感が残りました。
 頼朝や義家の墓は観光スポットになって人が多く訪れるのに!とは言え、自らも武勇に優れ、子孫に鎌倉幕府の創始者を持ったのは、それだけの何かを「持っている」家系なのでしょう。
 歴史の重みを改めて感じながら、葡萄畑を抜けて上ノ太子にもどりました。太鼓からの時の流れの延長線上にすべてのが存在することを重うと、私達自身も、木や草も、生かされている命がいとおしくなります。
 次回はどんな歴史に出会えるか楽しみです。