自 然 の 恵 み

 

T 自然なる川がなつかしい

 母に抱かれて、愛を一身に受けているときは、その慈愛に気づかない。
 母と離れ、母と死別したとき、初めて無形の愛に気づく。

一方、自然の恵みの中で農耕 し、食物を口にしているときは、その恵みを与えてくれる力を神さまとして崇めるほど、自然を母に似た恩いで、心に留めていた。無形の力でも目に見えるとき、その力に気づくのである。
 しかし近代文明の進展にともない、人間が山や川のある農村から離れて、平野のド真中に街を作り、貨幣で自然の恵みである穀物 や魚が買えるようになると、いつしかその恵みを忘れて、自然を開発し、変えて行こうという傲慢な人間に変ってしまった。
 それに拍車をかけたのが西洋科学や 技術の発展である。日本ではこれを導入した明治時代からであろう。
 科学や技術への信頼が独り歩きを許し、人間の暮らしから自然を切り離そうとしてきた。自然と離れつつある人間は、科学の粋を集めても、この阪神大震災は予知できなかった。
 反面ナマズは勿論、渡り鳥や猫でもあの前夜は異常な行動、仕草をとっていたという。それだけ人間より彼らの方が、自然と敏感なつき合い方をしているからだと解釈しても、不遜な感じはしない。西洋医学は患者の治療はできても、予防は苦手である。西洋科学や技術への一辺倒の信頼から目醒めるときが来たと思うのである。
 もう一度、原点に立ち帰って、人間の身の廻わりを見渡さなけれ ばならない。見渡すと、我々を囲む自然の算葱システムとそれに支えられた恵みを再確認せざるを得ない。
 一方この生態システムが文明開発により、破壊されつ つあることにも気がつくのである。その原因の一つに自然の持つ生悲システムヘの無理解、無知が掲げられると思う。
 西洋科学は客観性を重んずる余り、目に見 えない自然の生態システムや生命(いのち)ともいえる自然の働きについては深く研究されていない。エコロジー(生態学)の発展が遅くれているのも、無理の ない話である。この頁はエコロジー論を展開するつもりはない。従って常識的な範囲で、自然の生態システムに追ってみようと思う。
 私たちの暮らしの中で最も必要なものは水と暖と明かりであることは、この阪神大震災でも確認済である。中でも水は生命線である。それだけに私は前々から 水に関心を持っていた。
 他国に比較して恵まれている日本の雨は、山肌を流れたり、地中に浸み込んだりして、平野部に来ると川となり、最後に海に流れつく。 道中の色々な栄養分を適量に運んで、海の魚の餌となる。自然が作った川はほど良い蛇行した線になっているが、川の水量が増すと、この曲がった部分は洪水決 壊の原因になる。−度決壊したら、建設省はかならずといっていいほど直線のコンクリート堤を作り、底部はコンクリートの川底にして了う。
 洪水決壊の危険は なくなったが、海は植物プランクトンの異常発生で赤潮が発生し、汚物がそのまま流れ込んで、必要以上に海をヘドロにしてしまう。あまりにも対処療法的である。曲がり部分は流れる水の速さが遅くなり、上流から運んできた細かい石や栄養分をここで沈殿させ、水はより透明度を増し、藻が発生して淡水魚の棲む藻場になり、多くの栄養分は魚に食べられることにより、濃度を調節され、淀んだ水は川底の小砂子を通して地下水となって、水量も調節される。川の自動調節機能 を活用しながら、安い工事費で決壊を防ぐ堤づくりを考えて欲しいものである。経済的効果だけの価値判断から目醒める時かもしれない。(熱)
(トラスト関西1995.9より転載)

U 母なる海

 われわれ人間は地球の陸地に棲んでいるので、ややもすると山・川・野の恵みは実感できるが、海の恵みはピンとこない時がある。実感できるのは漁業に従事 している人たちだけかもしれない。しかし私は大阪の内陸部から神戸、塩屋に棲むようになってから、毎日家のベランダから海を眺めて、一日が始まるのであ る。初めは美しい海としてみていたが、いつのまにか、私をふところに抱く母に近い親しみを覚え、包まれている安堵感を感じるのである。
 われわれが棲む地球の陸地は海で囲まれている。調べてみると、地球の表面積では、北半球で海60.7%、南半球で80.9%、全体で70.8%であ る。数字の上からも正に包まれている状態である。それなのにその恵みはピンと来ない。それほど関わりが間接的になっていることに気づく。
 恵みの海に親不孝しているのは陸地に棲む人間の暮らしである。最近、魚が美味しくないとか、漁が少なくなって値段が高いとか不平ばかり言っている。自業自得であることを知 らねばならない。
 前の号で川から海に流れる水について述べたが、もう少し書き加えてみよう。それは藻の働きである。川から、又直接汚された生活汚物、栄養塩を藻は吸収、分解し、海を浄化し、酸素を荒らして、魚を棲み易くするのである。
 同じ藻でも石灰藻が繁殖すると、松島の磯焼現象のようになって、アワビは消失し、やせたウ ニや巻貝しか獲れなくなってしまう。藻に吸収される栄養塩(リン酸短、硝酸塩、亜硝酸塩、ケイ酸塩など)は、太陽エネルギーと相まって、プランクトンを発 生させ魚の餌となる。過剰なプランクトンは死骸となり、有機泥となって海底に堆積する。そして分解するに当って酸が必要となるので、海は酸欠となり死の海 となる。過剰なプランクトンは赤潮・くされ潮・厄水の形となって、臭い、赤褐色の水の色を呈してくる。このような現象が地球のあちこちで起きても、海は死 なずに生き続け、海の中の魚や海草を養い、人間に直接、間接の恵みを与えてくれている。
 では海はこの他にどんな恵みがあるのだろうか。まず海水による気混、天候の緩和機能である。太陽の遁熱を吸収、保持して気温をコントロールするのであ る。これと同時に海面から発する水蒸気が地球上に降る雨の源となり、大気を動かすエネルギーを運んで、四季の気候を作ってくれる。次に海水の流動即ち潮流 がある。これには上げ潮と下げ潮があり、潮流エネルギーを利用しているのに、潮汐発電がある。
 また大規模な海水の流れを海流といい、中でも黒潮暖流は温暖な気候と豊富な海産生物の卵や稚魚を運んで来て、豊かな漁場を日本近海に作ってくれている。 また海水に含まれる塩分は特に農耕民族には無くてはならない。食物の摂取が澱粉質のものが多いため、生命を保つのに生理的にどうしても要求される。それに 味覚の上からも、塩味は甘みを増し、旨みを引き出す役割を持っているので、調理上でも大切である。日本では塩との関わりが日常生活の信仰まで入り込み、 「清め塩」といわれるほど、あがめ奉られている。この海の塩分も元を正せば、陸地の岩塩層から地かく変動で海へ絞り出されたものと聞く。そして海は生物を 産み、一部は陸地に上がり、進化して動物を生み、人間まで進化させた。人間にながれる血液や母体の羊水は殆ど海水の成分と同じという。海は人間発生の故郷 であり、帰るべきところかもしれない。
 海はまた海底資源の宝庫として化石燃料からマンガン、ニッケル、鉄、鋼などの鉱物を産み、開発が進められているが、地球全体の生態秩序を考えると、採り 過ぎて秩序が狂わないか心配である。もし狂うとすれば、海の塩分の狂いから始まるだろう。その狂いを加速するのは、自然のダムといわれる森と母なる海を継 ぐ川が、枯れることなく、汚染も吸収して、清らかな水を海に帰す機能がなくなったときである。(熱)