東日本大震災の現場に立って
平成23年7月11〜14日

             沖田 文明(代表理事)
 

                JAFSハルハログループのエプロン届け隊に参加して宮城県南三陸町に行ってきました。個人的に南三陸町防災対策本部に見舞金を届けました。前回行った時は町会からの見舞金を届けました。被災者に直接渡すのが一番良いのですが、品物と違い少しのお金では難しいので、他からの見舞金と合せて使用してもらえるように。
 さて今回の届け隊の走行距離は2,177キロでした。片道十二時間かかり午前九時ごろ登米市のアジア協会事務所に到着しました。行きは仙台南から仙台東部道路経由三陸自動車道路を利用しました。この仙台東部道路は津波の防波堤の役割をしていたことを報道で見聞きしていたので確認をしたかったのです。
 午前七時ごろ通行しましたが、道路の海側と山側では全く違う景色でした。一同津波の現場を見て、その被害の大きさに大変なショックです。ついでにここを通るなら松島も視察していこうと言うことになり高速を降りて視察しました。松島は多くの島が防波堤となり比較的津波被害は少なかったようです。それでも商店の一階部分は津波で被害がありましたが、家が流されているような箇所は見られませんでした。水族館も大きな被害を受けて閉鎖されていましたがもう開館していました。島々が津波被害を軽減してくれたようです。

 今回の使命はエプロン配布と味噌つくりの応援です。参加者が九名だったので四名と五名に分かれてそれぞれの使命を実行することとなり私たち五名はエプロン配布に回りました。
 登米事務所スタッフの案内で南三陸町役場跡と防災庁舎を視察、このあたりでは志津川病院とスーパーの残骸が残っているだけであとは何もありません、すべてガレキの山です。前回行ったときはその悲惨さに驚いて写真を撮る気にはなりませんでしたが、今回は防災庁舎が原爆ドームのように残されることを聞いていましたので写してきました。三階建てで見上げるような建物ですが津波がそれを乗り越えて多くの被害者を出しました。
 防災庁舎の視察を終えて、アジア協会が炊き出し支援をしていた歌津町港新義会館に行きました。ここは五月中ごろまで炊き出し支援をしていた所です、その少し上がった場所に四十四戸の仮設住宅が建設されています、ここの仮設は十戸程の連棟式平屋建てで1DK〜2DKで、各戸にエアコン1台付です。トイレは水洗でした、二百人槽ほどの合併式浄化槽で浄化していましたが、水道はまだ来ていません、大きな共同の受水槽があり、それから給水しているようです。
 内部設備は、日赤から送られた、冷蔵庫、テレビ、洗濯機、電気釜、電気ポット、電子レンジの6点セットです。その他生活道具ですが、いたってシンプルで我々は道具を持ちすぎではと考えさせられましたが、まだまだ食器などの小間物が足りないようです。 
 仮設住宅の集会所でエプロンの贈呈セレモニーを行い十数名の方に参加していただいて大変喜ばれました。何か足りないものはと聞くと、「お金と仕事です」とのこと、漁師は海に行けばウニやサザエが取れて夏の漁期だけで二〇〇万ほどの収入があるらしいが、中小零細の水産物加工業者に勤務していた方は、加工場が復旧しないと仕事に就けません。早く仮設の加工場を建て多くの方が職に就けるようにしなければなりません。これは政治の問題です。

 東北地方は過疎地ですから土地はあり余るほどあります。高台に住宅地を造成して津波被害を受けた土地を交換して移転を促すようにすればスムーズに移転が進みます。それには今有る法律の枠を超えた復興基本法をつくり、計画が出来たところからすぐに工事にかからなければなりません。今有る法律はすべて復興の妨げに成っています。役人に任せておいたら今の法律の枠を出ません。今こそ政治家の出番で縦横に腕を振るえるのに、何が大事かを分かっていません。田中角栄元総理のような方が出てきて辣腕を振るわないと迅速な復興は出来ません。
 高台に家屋があって津波の被害に会わない街を造らなくてはなりません。