KANTAのルーツを探すよみがえれ森

〜 緑の山に彩る心のオアシス 〜
 

 
 みなさん、日本地図を広げてみて下さい。統計的にみると、日本の国土の67パーセントは森林である。ところが世界全体では30パーセントで、アジアでは20パーセントにしか過ぎない。この点では日本は世界有数の森林国と言えるかも知れないが、日本の森林も今、大きな危機を迎えようとしている。ひとつには、杉・檜を主体とした人工林の割合が多く、自然林が減少していることと手入れがなされていないところや、植林されていない地域が増えていることで、山地の崩壊地や崩落寸前のところが急増していることである。 天然のダムといわれる森林はその保水能力を失うと、大量の降雨があった場合、雨水は鉄砲水となって下流の町を襲い災害をもたらし、渇水期には深刻な飲料水の不足をきたすなど大きな影響がでる。
 水をかん養し災害を防いでくれる森林の保全と育成は、生活するのに最も重要なことなのであるが、直接に森林保護や育成に携わっていく人々が、過疎や高齢化のため急速に減っているなど、問題は山積みである。

1.森づくりにかけるKANTA
 ここでKANTAが、森づくりに着手するまでの、経過をご紹介しよう。
 身辺の公害や環境汚染などから各地で自然保護の気運が高まり、地球サミットを期に機運は頂点に達した。関西の自然環境を保全し、次の世代に引き継ぐことの目的のため、関西ナショナル・トラスト協会(KANTA)を結成しようと、発足人の集いが翌年の1993年6月に、大阪市天王寺区の中小企業文化会館で催された。
 そして、KANTAの目的は、市民運動によって土地や建物を所有し、そしてそれらを管理運営することによって関西地域の自然環境や歴史的環境を世に伝えることであることを確認した。
 その後、具体的な活動事例を示す必要から、和歌山県熊野川町に在住されている、会員の阪本さんグループの森づくり活動を、KANTAの全体プログラムに昇格させた。名づけて「よみがえれ森」とした。

2.森づくりの動機
 そもそも熊野川町のこの森を、よみがえらせようと立ち上がった動機は何だろうか。早速現地の坂本さんを編集員である私たちが訪れた。到達するやいなや、次のように熱っぽく語ってくれた。「平成元年ごろからか、森の斜面にある松が、松喰虫にやられて、立ち枯れ状態が進行しているのをみて、森が死んでしまうと思ったこと。次が、かつて町民が親しんでいた里山が荒れ果てて、誰も近づこうとしなくなったことに気づいたのが、キッカケと思う。そして町民に親しまれる山にするには、天然林で埋めようと夢をもったのですよ。」微笑の中にも輝く目に、童心のような夢が伺えた。
 天然林の反対語として人工林という言葉がある。杉や桧による造林を指し、木材の経済的効果があるといって、森づくりの主流になってきた。しかし人工林(一名経済林といわれている)の保水能力は少なく、大雨のたびに川下の平地に洪水を起こしてきた。天然林は、人工林の7〜8倍の保水能力があり、椈・楓・栃・楠・桜などは、季節折々の花や身を咲かせ、虫や鳥獣を潤わせ、秋には色とりどりの景観で人々をなごませてくれる。これが天然林でよみがえらせるという夢のコンセプトである。
 坂本さんはさらに言葉を続けられた。「こんな思いは私ばかりではありません。熊野川町の森林組合や農林課の方たちが集まり、松の立ち枯れに下草刈りを始めました。野生の繁茂と競争しながら、有志を募ってやるのですが追いつきません。思い倦んでいると、KANTA設立の話が持ち上がり、運営委員会の度重なる事業計画の検討会で、全体プログラムに乗せてもらうことになりました。即ち、熊野川町森林組合とKANTAとの共同事業で「よみがえれ森」の森づくりをしようということです。幸い運営委員会の全員の賛同を得、KANTAからは人手の応援、植林と下草刈りが主な仕事、森林組合は現地の受け入れ態勢の段取りという方程式ができ上がったのです。今まで3回、事業活動が行われました。」
 ここで注目したいのは、坂本さんを初めとする現地の有志たちの思いは、単に環境づくりのために、夢をもち活動しているのではないということである。森づくりの作業を通して森を知り、森に親しみ、人間と自然との交流、共存の必要性を肌で感じてほしい。又自然の恵みに日頃浴していない都会生活者が、この森に触れ、都会にない空間や今まで気づかなかった自然の恵みを発見したり、オゾンの多い新鮮な空気や彩りのある景観に共感して帰っていただく。そんなオアシスにしたいというのが、その奥にかくされた夢である。そんな思いから、森林資源に恵まれている熊野川町では、「林業総合センター」「小口自然の家」などを核にして、KANTA設立前から、自然に親しむ運動を展開している。アジア協会アジア友の会主催の国際森林研修も当地で毎年開催されている。

3.「よみがえれ森」位置するところ
 紀伊半島のほぼ中央部南端の和歌山県東牟婁郡熊野川町に位置し、町の面積の95%は山地という文字通りの森林の町である。大阪・天王寺駅からJRで和歌山経由、紀伊本線・新宮駅に下車、天王寺駅から特急約4時間の距離である。三重県境となっている熊野川に沿って168号線を走ること約20KMのところにある。
 この168号線をさらに北へ(大阪へ)走ると右側に吉野熊野連山を、左側に高野竜神スカイラインを眺め、五条市から310号線で大阪へとなる。熊野川町を横切る赤木川を渡って、市街地の方に曲がると熊野川中学校があり、校門の前に立つと眼面に「よみがえれ森」がそこにあった。
 今、KANTAがよみがえらせるために、植林を進めているところは、100Mほど登ったところの約2ヘクタール(約600坪)である。順次、杉林を変えながら、遊歩道づくりも着手の予定である。
 地域内には優れた景観の滝や渓谷も多く、貴重な原生林も残っており、自然資源の豊富な町である。また、町には伝統的な森林資源の管理思想や技術が蓄積されている。

4.私の活動日記から
 1996年度のKANTA全体プログラムとして、第3回目の「よみがえれ森」事業が、9月28日(土)〜29日(日)に熊野川町で行われた。1日目は林業総合センターで、森林組合の田中さんから、森づくりについての講演をいただき、夜は丁度行われていた(社)アジア協会アジア友の会による、国際森林研修会の面々と地元関係者との交流会が行われた。場所は「小口自然の家」の野外食堂で、夜遅くまで言葉を超えた交換が行われた。2日目は午前9時に、中学校近くの駐車場に集合。森林組合の田中さんから、ノコギリ、鎌、植林用の鍬などを借り受け、すぐまえの山道を登り、作業場へ。そこには、「よみがえれ森」の看板が誇らしげに立っていた。これは前述の坂本さんの肝いりである。その場所から20メートルほど上までの斜面はすでに整地され、楠や椎、桜などが植樹されていた。この生まれ変わりつつある整地部分に励まされ、少し上の斜面の羊歯類など下草木や蔦を大きな鎌で一気に伐採した。なれぬ手つきで須木を使い、楓の苗木を励ましながら10本植えた。ひと仕事をなし遂げた清涼感にしたりながら、KANTA事務局長の川端さんは山の頂をみながら、つぶやいた。「2ヘクタールもあるこの森が、頂上まで生き返るには、まだ時間がかかるなぁ。でも今日この一日を、何回か繰り返せば必ず頂上まで植樹できることも確かだ。よーし!」といって、秋空に広がる鰯雲に、再会をしているようであった。傍らにいたある方が「会員が増えれば、すぐに頂上までいきますよ」とつけ加えた言葉が、心に突き刺さった。

 
5.学んだ森林学

 森林組合の田中さんのお話から、心に残った事をご披露したいと思う。まず植樹に当たっての注意。まずは植え付け根本の下の所に、新しい土を入れる。その土は風通しのよい土でなければならない。次は木と木との感覚。密度を計画的にすること。木と木はお互いにテレパシーを出し合って育っていく。広い間隔をとれば、ずんぐりむっくりとなり、狭い間隔では、スリムに伸びる。木の種類によって自ら間隔も決まる。同じ種類の木でも間隔を変えるのもよいのではないか、遠くからみる森の表情に変化があり、人々に感動を与えてくれる。それでなくとも現代の人たちは無感動になりがちなのだから。植樹の次は音との関係のお話。樹木は少なくとも人間の3、4才程度の知識をもつ。クラシック音楽をきかせると育ちは良く、逆にロックなどの波長では育ちは悪くなる。人間の心の波長が20メガヘルツ以上になれば、心が乱れ、8メガヘルツ以下になれば、心が穏やかになるという。樹木も穏やかな方が育ちが良さそうだ。最後に自然とのつきあい方に、提言があった。今盛んに言われている心豊かな生活は、美を求める生活をするのが良い。美を求めるには、樹を愛し、自然に親しむのも一つの方法であるという。確かにこの地球上の生活の中で、最も長く生きているのは樹木である。我々人間は、もっと尊敬の念を持ち、温かい、優しいつきあい方に目覚めなければならないだろう。
 
6.坂本さんと熊野川町
 これまでの坂本さんと気軽に呼ばさせていただいたが、実は大変な方である。現在アジア協会アジア友の会の理事で、KANTA副運営委員長を兼任され、現地では熊野川森林国際交流会の活動をメインにされている。アジア各国でも進行している森林破壊から、この再生のために日本の育林、造林の技術を学びたいとの要請に応えて、実習、研修の指導に当たられている。これまで毎年1回、すでに8回を数えている。森づくり一筋のこの功績に対して、96年6月、14回朝日森林文化賞を受賞された。熊野川町は勿論KANTAの誇りでもある。
 熊野川町は今回、車で田辺市から中辺路(311号線)を通り、本宮経由で現地に入った。道に迫る森が幾重にも天に延び、神々が宿りたもう尊厳さと、やすらぎを与えてくれた。そんなことからか、この地方には昔から森林とのつきあい方、利用のノウハウが、文化として受け継がれている。それは「山仕法」といわれていた。具体的には、皆伐を避け、順番に伐採していく「順伐山」、水源かん養の水林砂防のための「砂留山」などがある。そのためか、山からの清水は絶えることなく豊かであり、きれいである。いや清純という言葉の方が近いかもしれない。こんなすばらしい環境の中に育った坂本さんは、最後にこう結んでくれた。「人手をかけなければ、自然な森には育ってくれない。民間と行政が手を組んでやらねば、解決しないですネ」と。この言葉は今後のKANTAのあり方を示しているように思えた。
 熊野川町の森林文化がKANTAの「よみがえれ森」事業や、坂本さんらの現地の「森林国際交流会」を通じて、国内は勿論、世界の森づくり運動に発展していくことを唯々祈るばかりである。KANTAは「よみがえれ森」に天然林を植えて、緑の山々に、彩りを添え、きれいな水、豊かな森を、次代の人々に送りたいと思う。(有・竹)

                   −トラスト関西 1997.3.より転載−